プリミティヴィズムの嘘と「愛おしさ」について

  近藤幸夫 慶応義塾大学准教授/美術評論家


この原稿を書いている時点で私はまだ今回の展覧会「Figure」の作品をみていない。作者の手紙のなかに次のような件がありそちらの方が気になった。
「学生時代にはロダンやイタリア彫刻を中心に勉強しましたが、はにわ、土偶、ひとがたなど・・・日本の古代にはとても魅力的な人体像があり・・・」これだけ読むとエサシの作品は単なる回帰志向、プリミティヴィズムと取られかねない危険がある。本当にエサシの作品はモダニズムに特有のプリミティヴィズムの文脈で捉らえられるべきものなのだろうか。 このプリミティヴィズムという考え方は最近ではすこぶる評判が悪い。それはこの概念が強者から弱者へそそがれる一方的なまなざしのもとに成立し、さらにそれが全く無自覚におこなわれていたことに起因する。確かにマティスやピカソがアフリカ彫刻からインスピレーションを得たことは間違いない。

他にも20世紀の作家の多くがアフリカやオセアニアなど非西欧の造形から影響を受けている。その背景には19世紀末から20世紀の初めにかけて異文化や植民地文化が盛んに紹介されたこともあるが、そのような受動的な理由ではなく作家たちのなかにあらかじめ用意されていた方向性とそれらが合致したこと、つまり予定調和的な現象であったということの方が重要なのだ。
人間疎外をはじめ西欧近代の限界をいち早く感じ取った芸術家たちは、理想郷としての原始共同体を夢想した。理性=科学に支配されない自由な人間像、といったような夢想を仮託するには実態を知らない時間的、物理的に隔たった対象が好都合であった。ゴッホが黄金の理想郷としての日本のイメージをどんどん膨らませていったことはよく知られている。評論家や美術史家はこの現象について何の疑いもなく芸術家の慧眼が、それまで見過ごされてきたものの価値を見いだしたという見解を踏襲してきた。

1984年から1985年にかけてニューヨーク近代美術館で開催された展覧会「20世紀美術におけるプリミティヴィズム―『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」はこのような傾向の集大成ともいえるものだが、文化人類学者から痛烈な批判を受けることとなる。

はなしをエサシに戻そう。エサシの作品は、このようなピカソやマティスのような選ばれた天才芸術家に民俗的造形が寄与するという構図とはまったく逆のベクトルを含むものである。それは無名の平凡な人たちの気持ちに対しての優しいまなざしである。例えば今回の出品作「まが玉君」や、2002年の梅干しの種を使った「種の見た夢—梅干し大作戦」などは素朴なお守りやマスコットを思わせる。
私たちは誰しも思い出、あるいは小さな信仰にまつわるものをそっと机の隅などに持っていないだろうか。それは本人以外には何の価値もないものである。年齢を積み重ねるにしたがってそれらは堆積していく。歳を取って亡くなった人の部屋に入るとこのようなものが沢山ある。それらは苦労した時期をともに過ごしたり、好きな人の思い出であったりとその人にとっては愛おしいものたちであったことだろう。私たちはそのストーリーを共有することはできないが、自分の経験と照らしてその愛おしいという感情を想像することはできる。誰もがそのようなストーリーを持っており愛おしいと思う対象があることを想像するだけで他者への見方が変わってくる。
以前エサシは立体作品の着彩の難しさについて語ったことがある。猫の作品ではモデルの猫の特徴である斑点の位置や大きさ再現するのが平面作品にはない難しさがあると言っていた。それを聞いていて飼い主の愛猫に対する愛おしい気持ちを想像した。飼い主は愛猫がいなくなった後でもその些細な体の特徴のひとつひとつを忘れることはできないだろう。エサシはそのような飼い主の気持ちを思いながら猫の作品を作っていく。名もない平凡な人たちの平凡な感情に対する限りなく優しいまなざし、そのようなエサシを考えると今回の展覧会に出品されるであろう小さな人間が折り重なった作品も単なる鳥瞰的な人間像ではなく、その1人1人がささやかな人生を生きるかけがえのない個人として息づきはじめるように思えてならない。